2013/11/30

企業の社会的責任と自己循環論法(1)

確固とした土台(=理由)なく、
CSRは進められているのではないか
日本において(世界でもですが)、様々な企業が様々な形で企業の社会的責任(CSR)を実践しようとしていますが、その格闘の中で、企業が「CSRを実行する理由」を探しているという現状を感じています。

CSVやSustainabilityやインクルーシブビジネスやソーシャルビジネスやCSRマーケティングなど、様々な「CSR周縁概念」とも言える概念が出てくる中で、CSR本来の意味や目的が見えづらくなっている状況ですが、私自身のCSRの定義は以前の投稿で述べたとおり、自社の事業運営の各プロセスや結果において、あらゆるステークホルダーに与えるマイナスの影響をゼロに近づけていく責任であり、その上でプラスの影響をより大きくしていく責任、だと考えています。

そしてこれはあくまで社会が企業に求めているものであり、その責任を全うしていくインセンティブは企業の内側には本来無い、というのが私の考えることです。もちろん、企業側が頭をひねって、企業の利益にもなる社会的責任の果たし方を見つけることが出来た部分については、企業の内側からインセンティブが発生することになると思いますし、そういうものもたくさんあると思います。しかしそれらも定量的に成果を把握していくことは難しく、またやはり企業にとっては(少なくとも短期的、ないしは企業として考えうる現実的な期間は)コストという扱いにならざるを得ないものがあることも事実だろうと思います。

企業の内側にはそもそもインセンティブが無く、一方で社会に具体的な形で何かを求められているようには見えない場合、企業に「CSRを実行する理由が無い」のではないかと私は考えます。確かに、グローバルで見ると様々な企業がCSRへの取り組みをブランドの向上につなげており、そういった事例が無いわけではありませんが、全ての企業がそれを達成できるかというと疑問が残ります。そしてこの「理由が無い」という状況を正面から見据えて出発しない限り、企業の社会的責任が促進される効果的な方法は達成されないだろうと思うのです。

しかし、実際にはそのような中でも徐々にCSRという言葉が広がっていき、多くの企業が、良く分からないが取りあえず巷で言われているようなことをやってみようか、という形で取り組んでいるのが今の日本のCSRだと思います。つまり、理由は無いけどやっている。

この理由が無いけど何かが行われているという状況は、そもそもありえるのでしょうか?理由が無い中で行われているという状況は、安定的でしょうか、不安定的でしょうか。そして理由がない状況の中で、現状以上にCSRが深まっていく可能性はあるのでしょうか?これらの点について、もう少し考えを深めたいと思います。


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