2013/07/29

日本企業の経営倫理とCSR

日本企業のCSRを巡る議論において、自社の持つ経営理念や、日本が昔から持つ商売人としての倫理観(近江商人の三方よしの考え方、渋沢栄一の論語と算盤、松下幸之助の経営哲学など)を振り返り、日本企業は昔からCSRを行ってきた、その原点に戻ろう、という議論が良く聞かれます。

本当に同じものを比べているか、
吟味する必要がある。
これらの考え方はそれぞれの立場から「社会」というものを意識した経営・商売の重要性を指摘してきたものだと思います。日本企業がこれらの日本企業の原点とも呼べるものを無視して企業経営を行うと、いずれ構造矛盾を生む可能性があり、これらの概念が根底に流れていることを認識することは企業経営において重要なことの一つだろうと思います。しかし、これらの概念や考え方が生まれてきた背景と現代社会の状況との相違点と共通点を熟慮することなく、自社や日本企業の伝統に思いを馳せ、短絡的に過去の考え方に戻り、しかもそれを「CSR」として認識することは、CSRの本質を見誤らせるのではないかと考えています。

丸山真男が「日本の思想」の中で、日本人の思想継起の仕方についてこのように述べています。

伝統思想がいかに日本の近代化、あるいは現代化と共に影がうすくなったとしても、それは(中略)私達の生活感情や意識の奥底に深く潜入している

過去は自覚的に対象化された現在の中に「止揚」されないからこそ、それは言わば背後から現在の中にすべりこむ

新たなもの、本来異質的なものまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから、新たなものの勝利はおどろくほどに早い。過去は過去として自覚的に現在と向き合わずに、傍におしやられ、あるいは下に沈下して意識から消え「忘却」されるので、それは時あって突如として「思い出」として噴出することになる。

丸山真男の指摘をよりわかりやすく言うとこういうことになります。

これまでAという考え方が常識であったのに対し、Bという考え方が現代的だと言われるようになり始めた。ここで日本人は、AとBはどのように異なり、どのような理由でBを取り入れていくべきなのか、AとBを統合したり並立したりする方法はないのか、などの検討を行うことなく、Bに飛びつく傾向がある。その結果、Aは一旦忘れ去られるのだが、明晰な思考を通じてAを棄却したわけではないため、Aは日本人の根底に残る。そしてふとした時にAというものもあった、実はAも良いのではないか、と言い始めることがある

これらは日本人の思想継起の特徴(というより問題点)として丸山真男が指摘しているものですが、まさにこの指摘が日本でのCSRを巡る議論にも当てはまるのではないかと考えています。

過去に日本型資本主義の精神の一つであったと思われる「三方よし」などの考え方は、いつしか日本人の無意識下に取り込まれました。その後CSRという概念がしっかりと吟味されること無く取り入れられますが、何をしたら良いのかよく分からない状態が続きます。そしてふとした瞬間に、無意識下にあった過去の概念がCSRに似ているのではないかとして、今になって思い出されたという捉え方です。

過去の三方よしなどの考え方とCSRは、確かに似ている部分もあるかもしれませんが、全てが合致するわけでは無いと思います。まずは過去の概念や経営理念が何を意味していたのかを正確に把握すること、次にCSRにおいて何が求められているのかを再確認すること、その上で両社の相違点と共通点を明確化し、何を過去の伝統の一部とし、何を新たな取り組みとするのかを認識し直すこと。これらのステップを踏むこと無しに、単純に我が社は過去からCSRに取り組んできましたと声高に言うことは、丸山真男の指摘する日本人の思想継起における問題の繰り返しそのものと言えるのではないかと思います。

自社の過去からの経営理念をベースにCSRを主張する企業があった場合には、その主張がしっかりとした議論を踏まえたものとなっているかを確認する必要があるのではないかと考える次第です。


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