夏目漱石とCSR。一見すると全く関係のないように見えるこの2つの単語ですが、私は夏目漱石の考えていたことが、実はCSRにとても重要な示唆を与えてくれると考えています。
漱石が生きていたのは1867~1916年であり、まさに明治維新(1868年)直後の、いわゆる日本の文明開化と共に人生を歩んできた人物と言えます。明治維新以降の日本は、自由民権運動などを中心に民主主義を求める声も高まり、西洋文化を積極的に取り入れて近代化の道を一気に突き進み始めました。漱石はこの激動の時代を極めて客観的に冷静に見つめて、様々な指摘を行っていた日本人の一人だったと私は考えています。その中で漱石は、現代のCSRの在り方にも関わってくる重要なことを2つ指摘していました。今回はまずその一つ目を見ていきたいと思います。
1.皮相上滑りの開花
日露戦争(1904年)の直後に書かれた「三四郎」(1908年)の中に、こんな一節があります。
『「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、――あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「滅びるね」と言った。』
これは主人公の三四郎と広田先生の会話です。日露戦争に勝利した直後の日本は、ずっと憧れていた西洋に戦争で勝利したという事実から、大変な高揚感に包まれていました。そのような周囲を尻目に、広田先生は「日本は滅びる」と三四郎に言っています。漱石は何故広田先生に「滅びるね」と言わせたのでしょうか。和歌山で行った「現代日本の開花」(1911年)という講演において、漱石はこのように発言しています。
『西洋の開花(すなわち一般の開花)は内発的であって、日本の現代の開花は外発的である(中略)現代日本の開花は皮相上滑りの開花である』
明治維新以降の日本は欧米の文明に圧倒され、急速に西洋化を進めて社会の様々な面で西洋の考え方を貪欲に取り入れて行きます。漱石はその近代化のプロセスが内発的ではないことに警笛を鳴らしているのです。私なりにこれらの漱石の発言を要約すると、社会の変化は内側から徐々に起きて行かなければならないものであり、外側から形式的に社会に変化をもたらしても、それは表面的なものに過ぎず、いずれ内側との矛盾によって社会が機能しなくなる、ということだと考えています。社会は大きなシステムであり、全体の整合性が取れる形でなければいつか故障が起きることになります。形式的に西洋文化を取り入れても、精神がそれらの文化と矛盾しないものでない限り、その文化が適切に定着することは出来ないということです。つまり、「和魂洋才」という西洋の取り入れ方は簡単ではなく、近代化が「皮相上滑り」のものであることを自覚しながら、和魂と矛盾しないように慎重に整合性をとらなくてはならないということです。
漱石は急速な西洋化に日本人の魂、即ち日本人の物事の考え方や捉え方の変化がついていっていないことに気づき、それを「皮相上滑りの開花」と表現しました。そしてその結果、いずれ社会の中で矛盾が生じるということを「滅びるね」という広田先生の台詞によって指摘していたのです。ではこの「皮相上滑りの開花」という考え方が、CSRとどのように関係してくるのでしょうか。
その答え(というか私の考察)を見ていく前に、次回の投稿で漱石が行っていたもう一つの指摘を見ていきたいと思います。
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