2013/05/26

CSRと民主主義の関係

先日、ビジネススクールのクラスメイトだったスペイン人のEがロンドンに来ました。ちょうど良いホテルが無いのでCRAFTSMANの家に泊まらせてくれないかと連絡があり、リビングに泊まってもらいました。Eはもともと金融機関に勤めており、卒業後も金融関係の仕事を狙って現在就職活動をしています。Eは非常に面白い奴です。

何が面白いかというと、自分のやりたいことを遠慮なくやり、欲しいことをどんどん要求してくるところが面白い。今回も気づけば平気でテーブルに足を乗っけていましたし(確かにテーブルが低いので、ソファーに座るとちょうど足を乗せられる高さなのですが)、突然テレビを点けて見始め、電気のプラグなど勝手に抜いて自分のパソコンや携帯の充電をしていました。また「ちょっと部屋が明るいんだけどアイマスクある?」「もうちょっと冷たい水ない?」「電気のプラグ変換欲しいんだけど?」など、一応私の家なのですが、遠慮なくずばずば要求してきます。

Eは以前にも一緒に行った銀行や旅先のホテルなどで、手数料や宿代や部屋の温度など、納得がいかなければ最後まで主張し、交渉していました。他のスペイン人の友人ともホテルの部屋などをシェアしたことがありますが、ここまで積極的な奴はいなかったので、Eは確かに奔放だとは思います。しかし私自身の経験では、自分を含めて日本人と比べると、他の国からのクラスメイトは自分の要求や主張を相手に伝えることに積極的であり、相手に大きな迷惑がかからないと判断した場合には遠慮なく自分のやりたいことをやる傾向にあるように感じました。

これらのクラスメイトと共に過ごした時間を含め、日本を出て生活していて気づいたことは、日本の人たちが相手のこと、つまり相手が何をしてほしいか・何をしてほしくないか、を考えることに非常に長けているということ、また逆に海外の人たちは相手は何か自分にして欲しいことやして欲しくないことがあれば言ってくるだろうと考えているということです。そのため、自分にとって迷惑なことを相手が始めた場合、それをやめるよう明確に主張する必要があります。主張すれば相手がその行為を止めるか、もしくは反論があり、その場合にはそれにまたしっかりと反論する必要があります。いずれにしても、何をどうして欲しいのか、明確に伝えることが重要だということを色々な場面で感じてきました。そして日本で育ってきた自分にとって、それは精神的に疲れる作業でした。

こういった経験をする中で日々思い出されたのが丸山真男の「『である』ことと『する』こと」の中の「権利の上にねむる者」でした。

「(時効という制度は)金を借りて催促されないのをいいことにして、ネコババをきめこむ不心得者がトクをして、気の弱い善人の貸し手が結局損をするという結果になるのにはずいぶん不人情な話のように思われるけど、この規定の根拠には、権利の上に長くねむっている者は民法の保護に値しないという主旨も含まれている

請求する行為によって時効を中断しない限り、たんに自分は債権者であるという位置に安住していると、ついには債権を喪失するというロジックのなかには、一民法の法理にとどまらないきわめて重大な意味がひそんでいる

民主主義の発展がCSRの発展にもつながる
昨年私が住んでいたフランスはデモの盛んな国であり、ストライキも日常茶飯事です。それらの行動の根底には権利意識があり、それを積極的に行使していく文化があります。どのような形で自分の権利を主張するかはそれぞれですが、権利意識を持ち、それを主張する傾向は欧米諸国一般に持ち合わせた姿勢ではないかと思います。やりたいことをやる権利、自由に表現する権利、文化的な生活を営む権利、それらの権利を自らが保有しているという認識と、それを積極的に展開していく習慣は、恐らく生活の中で彼らが自然と身につけていったものなのではないだろうかと思います。丸山真男の言葉を借りるならば、彼らは権利の上にねむることなく、権利を持っているという自分の地位に甘んじずに請求する行為を不断に継続していると言えます。

もちろんそれがネガティブな方向に働くこともままあります。主張の文化は衝突の文化でもあり、また自分さえよければ良いという自己中心的な行動も誘引します。海外で海外の人材と生活する中で、ちょっとした憤りを感じる場面(相手がこちらのことを何も考えずに行動するなど)はいくつもありましたし、その多くが彼らの文化の根底に流れるこれらの考え方を反映していたと思います。権利意識を持つ人間は他人の権利にも敏感であるべきであり、自他の権利の両方について敏感であることこそ成熟の証ではないかと思いますが、なかなかそれを期待するのは難しいなと感じたことも事実です。しかし、そういったネガティブな面をコントロールしながら、各人が権利をしっかりと認識し、互いに主張し、建設的に議論することは、社会を発展させていく為に不可欠なプロセスであり、それこそ民主主義の本質ではないかと思います。

そしてこれはCSRを考えていく上でも非常に重要な考え方なのではないかと私は考えています。CSRは社会からの具体的な要請があって初めて必要になるものです。ステークホルダー、即ち社会の中で生活する人達が自分たちの権利に基づいた要請をしなければ、CSRを行う必要はないですし、行われることはありません。またCSRの前提となるステークホルダーエンゲージメントは、企業側がそれらの要請に応じて建設的な議論の場を設定して、対話を通じて事業のあり方を改善していくことを求めています。これらの点から、CSRの発展は民主主義の発展の度合い、もう少し丁寧に言えば国民一人一人の権利意識とそれに基づいて行動を起こす意識の高さに左右されるのではないかと私は考えます。そして、日本でCSRをより効果的なものとしていくにあたっては、本当の意味での民主主義がもう少し発展していくことが必要なのではないかと考える次第です。

2 件のコメント:

  1. いつも読まさせて頂いています!
    スペイン人の友人との文化の違いからCSRに持っていく流れがさすがだと感じました。勉強になりました

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    1. こんなつまらんブログ読んでくれてサンクス!笑 引き続き宜しく!

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