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企業の租税回避を問題視する声が これまで以上に大きくなっている |
一連の租税回避に関する議論から、CSRに関する論点が3つ見えてくるのではないかと考えています。1つは企業の存在意義、2つ目はステークホルダーの要求の変化、そして3つ目はlevel playing fieldという概念です。
企業の存在意義
上述の通り、利潤を最大化し、株主価値を最大化していくことが企業の目的だと考える場合、租税回避は一つの認められるべき選択肢となります。これを選択肢として捉えて良いかどうかを考える上では、そもそも企業は株主の為に存在するのか、ひいては企業は何の為に存在するのか、という点について改めて考えることが必要です。これは大きな質問ですが、CSRとは何なのかという問いは、この質問に答えない限り正確に答えることができません。東京大学教授の岩井克人氏が著書「会社はだれのものか」において、一般に「企業」と言われるものは正確には「法人化された企業」であるという点に触れながら、この問いに対する答えを出しています。
「法人とは、社会にとって価値を持つから、社会によってヒトとして認められている(中略)そうすると、少なくとも原理的には、法人企業としての会社の存在意義を、利益の最大化に限定する必要などない」
「(社会にとっての価値とは)まさに社会が決めていく価値であるのです。」
本当はもっと細かく会社(=モノとしての企業の法人化)の構造やそれを取り巻く社会システムについて大変示唆に富んだことがたくさん書かれているのですが、本書の結論だけ述べれば、株主が会社の全てをコントロール出来るとする考え方は法理論上は誤りであり、会社にどのような役割を与えるかは社会が考えて決めることである、ということだと思います。
会社の存在意義を考える上では、会社とは法人であり、法人は社会の承認によってその存在を認められているという法人制度の原点に立つ必要があります。法人制度の原点に立ち戻って企業の存在意義を再考すると、企業は株主の為にあると考えるのも社会としての結論であり、企業は社会的責任を果たすべきだというのもまた社会としての結論だということになります。つまり社会が企業のあり方について決めていくということです。その中で、特に先進諸国においては、企業は利潤を追求するだけでなく社会的責任も果たしていくべきだと考える声が、特にリーマンショック以降徐々に大きくなっているというのが現状なのではないかと思います。
企業は利潤を追求するためにあるという考え方を所与の前提で不変と捉えるのではなく、社会としてどの様な役割を与えていくのかを常に考え直していくことが必要です。ここでもやはり、前回の投稿で述べた民主主義の発展が重要になり、国民として政府を通して、もしくはステークホルダーとして直接、企業に対して働きかけを行っていく意識と行動が求められると思う次第です。
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